九十歳。何がめでたい (佐藤愛子)
昔の日本はもっと情があった。今は観念で生きている。そういうことがあちこちに散りばめられているエッセイだった。
昔の日本は知らないが、もっと人間関係が実感として繋がっていたのだろうと思う。だからこそ、最後の一歩を踏み出すのを躊躇い、踏みとどまれたことも多かったのではないかと感じた。
【蜂のキモチ】
“ただ一つわかることは、生きものはすべて、人間に利用されるために生れているわけではない、ということである。”
本当にまさしくその通りとしか言いようがない。人間にとって邪魔だとか役に立たないとか、そういう目線でしか物事を見ていない自分に改めて気づかされた。
【一億論評時代】
サザエさんの感想についてのエッセイ。
マンガは教科書ではなく、人間を論評する場でもなく、ただ笑うためのものなのに、そこから教訓を得ようとする人々に呆れ、もどかしさを感じている筆者の思いが迸っている。
“感心している場合か。ここは笑うところだ。なぜ笑わない!笑わずに感心するとはマンガに対する侮辱ではないか!しっかりせえ、と私は怒りたくなった”
今の時代、ありとあらゆるものから何かを得ようともがいている気がする。
私たちはただ無邪気に楽しみ笑うことを忘れてしまってはいないか。そんなことをふと思った。