老残のたしなみ 日々是上機嫌 (佐藤愛子)
佐藤愛子さんのエッセイ集。
2000年3月に刊行されたものだが、初出一覧を見ると1994年から1999年に出されている。
今から20年以上前のものだが、この頃問題だったことが今はもっと深刻になってきているように思う。
例えば、目先の問題をとりあえず解決させるための解決策が別の問題を発生させる。しかしその解決は先送りすることは、よくあることではないだろうか。
先のことを心配しすぎるのはよくないが、何も考えないのも問題だと思った。
【年寄りの心配】
"一つの不都合を抑えれば次の不都合が生じることを我々は色々な面で経験させられてきたではないか"
”「当面の問題」で頭が一杯になって、先のことを考えるゆとりを失うとモトも子もなくすのである。"
よく考えること。
常日頃から考えることを習慣づけたい。
でも、考えることと分析することは違う。
分析し続けていると、無機質な人間へと変質してしまうことを筆者は憂いている。
この頃よりもずっと、私たちはあらゆる問題を分析し評論し、
しかしながら自分の問題として謙虚に受け止めることをやめてしまったように思う。
これは私自身にも言えることだ。
畏れるべきものを畏れ、謙虚であることを忘れずにいたいと思った。
【いいたくないがいわねばならぬ】
”突然、向こうから剣が飛んでくる。それに対して腰の刀を抜く手も見せず、丁と切り結ぶのは平素の修練の力である。修練のない者は突き刺されるか、逃げまどうしかない。”
”思考の短絡、牽強附会が社会に渦巻いている。少し沈黙して深く静かに考えようじゃないか。討論会じゃないのだから、とっさに意見をいわなければならないということはないのだ。よく考えずに目先の現象とそこいらに転がっている概念を簡単に拾って繋げばいいというものではないのだ。”
”問題は怖れるべきことを怖れず、泣くべきを泣かず、怒るべきを怒らない無機質な人間へと日本人が変質しつつあることだ。”
”人権人道の大合唱に加わっているうちに、人道とは何かを考えることを忘れ、形だけの人道をふりかざして人道家ぶるという矛盾に気がつくべきではないか。”